JUST FOR TODAY

今日の恵みを忘れないために

この時代にあって テトス2章

今朝早くに目が覚め、眠れそうになかったので、
結局起き上がって聖書を読みました。

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老人・年をとった婦人・若い人々・奴隷に、
それぞれの立場でどうあるべきかについて書かれている。

今までは「若い婦人たち」への教え、
「夫を愛し、子どもを愛し、慎み深く、貞潔で、
 家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるように」

に自分を重ねて、「ちょっと多くない?」
「ハードル高いんですけど」と突っ込んでいた。

でも今回は「老人」「年をとった婦人たち」の方に目が行った。
明らかに今の自分はこっちのくくりに入る気がする(笑)。

そこでひっかかったのが「敬虔」
「敬虔なクリスチャン」という言い方はよく聞くけど、
具体的にどういう人のことをいうのだろう?マザーテレサ
どういう言動?物腰柔らかでいつも祈っている…みたいな。

普通に辞書で調べると
やまいつつしむ気持ちの深いさま。
特に、神を深くうやまい仕えるさま。

「神を畏れ、慎み深くあること」かな。

「神に仕えている者らしく」とあるように、
「いかにも感」って意外と大切なことかも。
言うは易し、行うは難しだけど…。

他にも個々に具体的要求が挙げられているが
共通するのはことばと行いが健全であること。

私たちのことばと行動のすべてが健全であれば、
この世へキリストと神様を知らせる証しとなり、
その反対ならキリストと神様への不信を招きかねない。

「クリスチャン」と呼ばれる私たちは
キリストの名とその教えを背負ってこの世を生きていく。

健全なことばと行動は「敬虔なふるまい」と言い換えることができる。
それは、この世が持ち得ないものだからこそ光となって輝く。


というのは、すべての人を救う神の惠が現れ、
私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、
この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
祝福された臨み、すなわち、大いなる神であり、
私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを
待ち望むようにとさとしたからです。(11-13節)


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