教会 なぜそれほどまでに大切なのか
今回帰国でお買い物はいっさいできなかったと書きましたが、
例外が二カ所。母教会併設のブックショップと関空の本屋。
本だけはいっぱい買い込んで来ました。
信仰書はフィリップ・ヤンシーのものばかり四冊。
今日実は腹痛で休んだので一気に読みました。
私は情報伝達が下手くそで、
どんなに感動した本や映画でも、
その感動をうまく話せなくてイライラします。
一生懸命話し始めるんだけど、途中で自分でも
何が言いたかったのか分からなくなって
「あ〜、もういいや」ってなってしまいます(笑)。
この本もとても良かったんです。
何度も泣きました。
教会の弱さ、至らなさゆえにこの世に起こる問題や誤解。
それは教会を形成するのが私たち罪人だから当然なんだけど、
その悲しいリスクを犯してでも神様が私たち教会を、
この世にみわざを現す唯一の手段として置かれた…。
という事実にもう一度感動しました。
「組織」ではなく「家族」と考える方がぴったり来る。
同じ家に生まれた家族であるというだけで、
それぞれは違っても、気が合わなくても、
一緒にいる。帰ってくる。教会はそんな場所です。
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日曜日、礼拝後のランチを皆で食べ、
キッチンで一人りんごをむいていました。
日曜学校の生徒である6才のSがやって来て
「お絵かきしたい」とねだったけど、私は手が離せません。
私「今、りんごむいてるから後でね」
S「じゃあ、私はいま何すればいいの?」
私「ここにいて、つきあって」
S「私は何をするの?」
私「ここにいておしゃべりしてくれる?」
S「うん」
リビングからは食事を終えた兄姉がそれぞれ
自由に交わっている声が聞こえてきます。
奥の部屋行って遊んでいる子どもたちもいます。
私はSと二人、明るい陽の入るキッチンで、
りんごと包丁を手におしゃべりしながら、
心が温かい喜びで満たされていくのを感じていました。