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今日の恵みを忘れないために

祈ったことのない祈りへと Ⅰサムエル1章

ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」10-11節

子供がないハンナにとって、毎年のシロへの礼拝はそのことを一番つらく感じさせる行事になってしまっていた。夫はもう一人の妻ペニンナには子供たちのもあわせた数人分の「受ける分」を、ハンナには彼女一人分を与えていた。夫は決して差別しているのでなく、規定通りに与えたにすぎないけれど、彼女にとってはその贈り物にを見るだけで気持ちは沈んだに違いない。

そんなハンナをペニンナはあからさまな態度で、あるいは面と向かって言葉で刺激した。傷つき、怒り、くやしさ、悲しみ…いろんな感情で押しつぶされそうになったハンナは主の前に祈った。ペニンナに「私の方が愛されているのを知らないの?」と毒づくのでなく、夫エルカナを「私の苦しみも知らずにそんなふうに慰めないで」と理不尽に責めるのでもなく。悩みの原因は「主が彼女の胎を閉じておられた」ことだとわかっていたから、主のもとへ行って掛け合ったのだ。

苦境はしばしば私たちを本気の祈りへと導く。心の重荷を抱えて主の前に出たはいいが、言葉が見つからず、頭を垂れてため息ばかりがでる。沈黙の後、ようやく一言、また一言と、聖霊の助けで心の内を打ち明ける。ハンナはそうやって、長いこと主の前にいた。そうして、請願を伴った祈りへたどり着いたのだった。

私の祈りの生活はどうだろう?できるだけ簡潔な、使い慣れた文句で自分の願いを言い表して、「アーメン」で締めくくって終わりになってはいないか?心にかかることがあっても、「そんなにつらつら説明しなくても神様はご存知だから」とかあたかも信仰があるかのように、またはその後の忙しいスケジュールを理由に、祈り半ばで立ち上がってはいないか?

この重い心は、神様が私を「祈ったことのない祈り」へ誘う招待状かもしれない。

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