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今日の恵みを忘れないために

働き手を送ってください!礼拝メッセージ

収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。

この町に教会を建て上げることは神様のご計画でした。この町の人々を愛し、救いたいと願われたのです。今年、神様が私たちにくださったビジョンは―「働き手を送ってください!」―エス様は今年私たちがこう祈るように命じらておられます。なぜでしょうか?

1.イエス様が人々を憐れまれたから

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。(36節)

エス様が人を見るとき心が動きました。憐れまれたのです。人を見てかわいそうだと思われたのです。私たちはその心を理解できません。イエス様の心の痛みを知りません。だからイエス様は祈りなさいと言われたのです。イエス様は、神の愛も、いのちの意味も知らず、人生の痛みの中で、滅びに向かって歩んでいる人をかわいそうに思われたのです。イエス様の心、神の心は痛んでいたのです。私たちが神様の心の痛みを理解するために、イエス様は私たちに主を呼び、働き人を送ってくれるように祈りなさいと言われたのです。私たちは日々いろいろなことを神に求めて祈りますが、主と同じ痛みを感じて祈ることをしません。私たちに必要なのは主と同じ心を持つことです。なぜ祈りますか、イエス様が憐れまれたからです。

エス様はいつも人のために祈っておられました。なぜなら人々が牧者のいない羊のように道に迷っていると感じたからです。羊は近視眼です。遠くが見えません。目の前にある草を食べて、なくなるとまた目の前の草を食べます。毎日それだけの生活です。この世の多くの人が目の前の生活のためだけに生きています。そして毎日辛いと思ったり、つまらないと思ったりします。満たされない気持ちで家族や他の人と衝突することもあります。人との関係を壊して苦しんでいます。自分の人生を壊して苦しんでいます。本来人は永遠の中に生きているはずなのに、それを知らないので、目の前の生活を見、将来を心配しているのです。神様を知っている人は将来を心配しません。羊飼いに導かれている羊のようです。羊飼いは羊を明日食べる草へと導きます。まことの羊飼い永遠の未来まで導かれます。羊は心配せずについて行きます。しかしこの世の人には羊飼いがいません。かわいそうです。私たちは祈りによってイエス様の心を知るのです。


2.収穫が多いから

収穫は多いが、働き手が少ない。(37節)

これはイエス様の約束のことばです。収穫は多いのです。問題は私がこの約束のことばを信じるかどうかです。私は7年前この町に来て教会を建てるように導かれました。その時主がくださった約束は、主ご自身が人を集めて礼拝させてくださることでした。ビジョンは500人の群れでした。2010年1月教会としてスタートしました。最初のビジョンは50名礼拝、500人の十分の一で礼拝することでした。その結果、クリスマスに70名の礼拝をすることができました。しかし、本当にその中からイエス様を信じて毎週礼拝する人はなかなか増えません。先週は17名でした。これが現実です。

さて、この町でこのイエス様のことば、「収穫は多い」は本当に信じることができるでしょうか。簡単ではありません。信じたいけれど難しいと感じるのです。だからイエス様は言われたのです。「だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」イエス様ご自身が働き手を送ってくださるように祈るならば、天のお父様は必ず答えてくれるはずです。でも、イエス様は私たちがその祈りをするようにと言われたのです。なぜですか。神様のご計画は、教会を通して、私たちクリスチャンを通して人を救うことだからです。私たちに神様の約束を信じる信仰がなければ、この言葉は成就しません。私たちには信じないという罪があります。今年、私たちはもっとこの祈りにおいて成長すべきなのです。

今この町に何が起こっていますか。地下鉄の拡張工事が行われています。ますます便利になります。いろいろな場所に行き、さらにこの町を知り、この町のために祈りたいと思います。私たちの教会には、神様によって遠く広い範囲から呼び集められた兄姉たちがいます。小さな場所に限定せず、福音を伝えることが主の導きです。イエス様の約束によると、この町には、主を信じ、礼拝する人が多くいるはずなのです。羊飼いに導かれるべき人たちが多くいるのです。あなたはそれを信じることができますか。私たちは祈りが必要です。もっと大きな信仰をいただくため、もっと強い信仰のために主は命じられました。「だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」


3.働き手となる
「収穫は多い」イエス様の約束です。しかし、残念です。「働き人が少ない」とも言われたのです。

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」(ロマ10:13-15)

教会の使命は何ですか?三つ、礼拝、宣教、交わりです。すべてのクリスチャンはこの使命を受けているはずです。しかし、残念です。働き人が少ないのです。「働き手を送ってください」と祈らないからです。私たちが祈るとき、私たちは神の声を聞きます。収穫の為に働き人になるように招かれます。祈る人は神の約束を信じます。収穫が多いと信じます。祈る人は神に期待します。祈る人は神様に従います。そして喜んで収穫のために働き人になります。そして、収穫するのです。

今年、神様が私たちに与えてくださったビジョンは、この祈りを学ぶことです。イエス様の心を理解します。その痛みを理解し、その心を私の心とします。そして主の約束を信じます。そして収穫の主のために自分を奉げ、働き人になります。ともに収穫を見て一緒に主を賛美し崇めましょう。

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