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今日の恵みを忘れないために

子どもの手を放すとき

今日は三男の引っ越しだった。大学入学に伴い、一人暮らしを始めるため。夫が帰国し、物件探しや契約も付き添ってくれた。朝からリサイクルショップで必要なものも購入して、一気に引っ越し。(昨日大腸カメラでポリープ切除したばかりで、明日は朝から東京行きなのに…。お父さん、ありがとう。)

三男は高校二年の途中から、体調を崩したのをきっかけに、学校に行きにくくなって、高3はほとんど行ってない。結局IBディプロマはあきらめた。彼にとっても、私にとっても辛い時を過ごした。神様を信じていたし、ひたすら祈った。けれど、状況はなかなか変わらなかった。

卒業を控え、進路を決める段になって、日本の大学を帰国生枠で受験することにした。私の実家近くで「帰国生受験コース」がある塾を見つけたのがきっかけ。そこで半年頑張ればいけるかも…と本人も希望を持った。結果志望校二校とも合格した。感謝だ。(塾に滑り止めを受けるようにと言われて追加で受けたところは落ちた。笑)

神様は真実に導いて下さった。辛かったことも無駄ではない。けれど、今後についても親としての心配は挙げればきりがない。体力ないのに学校毎日通えるのか、バイトしないと生活できないのにまだ探せてないし、一人暮らしでごはんちゃんと食べられるのか…。

そうはいっても彼の新生活はいやおうなしにスタートする。子どもの自立のためには、親は祈ることしかできないくらい遠距離のほうが、かえって良いのかもしれない。近かったら、手も口も出し続けただろうから。

子どもの手を放すということは、親自身も一人で立つということだ。温かくて煩わしくもあった小さな手は、自分の使命を受け取るために、神に向かって伸ばされていく。親も、空になった手を、今度は周りの必要としている人たちに差し伸べるようにと促されている。

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