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今日の恵みを忘れないために

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近況報告のコピーです。

 

先週水曜日、母が老健に入所しました。母は、去年に入ってパーキンソンの症状が進んだことと、春頃からはじまった腰痛が日に日にひどくなって、秋には週三日通っていたデイサービスにも行けなくなりました。

 

整形外科、整骨院なども受診しましたが症状はよくならず、特に起床時は激痛で一人では起きられず、朝の訪問看護を増やしました。ポータブルトイレ、介護ベッド、紙パンツなども段階的に使用開始し、在宅介護を続けて来ましたが、父が「施設入所」をたびたび訴えるようになりました。

 

ヘルパーさんが日曜日以外毎日母の世話と家事をしてくれる他、朝は訪問看護師さんが起床時の介助、夜は個人的にお願いした人が来てくれています。私もヘルパーさんができない細々したこと、病院の付き添いなどをしてきました。

 

しかし、それ以外の時間、母が痛みを訴えたり、頼み事をするのはすべて父になるわけで、それが積み重なって耐えられなくなったので、みんな納得の上、老健入所を決めました。老健なので「リハビリ~回復~帰宅」が目標、とりあえず一か月様子を見ることになりました。

 

昨日でちょうど一週間経ち、オンライン面会がありました。スカイプ画面の母は顔色もよく、元気そうでとても安心しました。本人は「日中ちょっと横になりたくても部屋に戻れない」「持ってきてもらった飴も一つずつしかもらえない」など、施設やスタッフへの文句を言ってましたが、「それは施設側の管理事情だろうから」と説得しました。

 

父のためにはヘルパーさんと地域のシルバーさんが平日各1時間ずつ来てくれることになりました。この一か月、両親がまず新しい生活に慣れるように、そして今後の方向が見えてきたらいいなと願っています。

 

二年近く両親の介護にかかわってみて、ケアマネ・主治医・薬剤師・ヘルパー・訪問看護師・デイサービススタッフ・介護用品業者など、実にたくさんの人たちとの関わりがあり、そのサポートを受けていることがわかりました。

 

介護に参加するとは、そのかかわりの中に入り、連絡や相談をすることも含まれます。特にこの半年、母の病状が急に進んだことで、今までのスケジュール通りの生活ができなくなり、各所と連絡を密にせざるを得ませんでした。

 

ポータブルトイレ一つ使うにしても、家族で話し合って意志を固め、ケアマネ経由で介護用品業者に連絡が行って、訪問・購入決定、後日納品、同時にヘルパーさん・訪看さんに報告。その後は消耗備品の残りチェックと購入など…。

 

延々と続く電話連絡と病院通いと母の世話、飛ぶように過ぎていく毎日に、焦りと消耗を覚えることもありました。介護をするときの決断には、医師の診断とケアマネのアドバイスを聞き、ネットの情報や自分の知識を合わせてあれこれ考えたとしても、決して「これが最善」と言い切れないあいまいさあります。被介護者と介護する家族の刻々と変わる身体状況と心情も理解し、それに見合った判断がその時の最善なのでしょう。介護の奥深さを垣間見る経験をしています。

 

ともすれば目の前の出来事だけで混乱する私に、神様は日々みことばで力と知恵を与え、歩みを導いてくださいました。クリスマスにはヘルパーさんたちに感謝のことばとプレゼントにトラクトを添えて渡しました。

 

母のことで疲れ果て、少しうつっぽくなった父でしたが、私が「神様はこれまでもたくさんの人の助けと祈りを通してささえてくださった。神様が私をここに置いてくださっている。神様を信頼したら大丈夫。」と励ますと、顔を上げ、険しかった表情が少しやわらかく明るくなりました。

 

また、神様はメンバーを通して私を励ましてくださってます。感謝です。今ここにいる意味、なすべきことを日々主に教えられて歩んでいきたいです。

 

*長くなってすいません。十分の一くらいにまとめてコレです(笑)

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母と神様とフウセンカズラ

母は植物が大好きで、それらの季節ごとの変化にも目ざとい。目を凝らさないと見えないくらい遠くを指さして「ほらあそこに実が一つなってるやろ」と、食いしん坊なのか柿やミカンなど実のなるものは必ず見つける(笑)。

先日、整骨院に行ったとき、駐車場の花壇?にボーボー茂った草に「これ、ローズマリーと違うかな」と足を止めた。葉っぱを一つちぎって匂いを嗅いでみると、やっぱりそうだった。私なら絶対に気づかず、見過ごしていただろう。

時々母と散歩に行くと「こんなにかわいい花がこんなところに!」ということがよくある。普段先を急いでいる私には見えない足元の草花も、母にはいつも愛でてもらえて、喜んでいるように見える。

さんぽにいきました。ふうせんかずらがかわいかったよ。…今度種もらっとくわ。

パーキンソンで不自由な手で、LINEを送ってきてくれた。写真は撮らなかったというので、私がネットで探して送った。

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数日後実家に行くと、本当に茶色くなった実?がいくつか置いてあり、「植えようと思って」と言う母。内心(え~?世話するのメンドクサイやん)と思いつつ、仕方なく調べてみると植え時は4-6月なので、それまで保管しとこうと、実を開けてみた。すると、茶色い枯れた実の中から、かわいいハート印のついたまん丸のタネたちが転がって出てきた。

「何これ!?むっちゃかわいい!ハートがついてる!」神様の創造のみわざ、あけてびっくり玉手箱的な、素敵なサプライズに思わず声をあげてしまった。

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コロナのために思いがけず長い日本滞在になったこの一年、母の体の衰えを目の当たりにしている。戻りたいという思いはいつもあるけれど、やはり母のそばで教えられ、学ぶことはまだまだたくさんあって、この時そばにおれてよかったというのがほんとの気持ち。ありがとう、ママ。この時間を与えてくださった神様に感謝します。

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私の心を知る神様 

朝目覚めた瞬間からすでに心は重い。すべての責任や面倒を投げ出して、どこかへ逃げてしまいたい気分。「神様、いつになったら私はこんな思いから解放されるのでしょう?」とのつぶやきとともに一日を始める。

コーヒーを傍らに今日のリビングライフを開く。詩篇13篇。

いつまで私は自分のたましいのうちで思い悩まなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。(2節)

まさに私の心を代弁することば。しかし、ダビデの歌はそこにとどまらず、主を見上げ、求めて叫ぶ。そして、信仰の告白へ。

私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。(5節)

若いころ、主に歌うたう者として生きて行くよう召されたみことばが次の節。現行の翻訳ではなく、以前のものがしっくりくるので、ここだけ古いのそのまま引用。

私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。(6節)

生きる意味をくれた。罪のゆるしをくれた。恐れも、心配も、涙も、それを渡すことができる相手ができた。私の救い主。私のためにすべてを捨てたお方がいる。だから今日も生きてこられた。イエス様、感謝します。 

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先日久しぶりに見かけた空芯菜、即買い♪トマトと卵のスープと一緒に。メイン何やったか忘れた(笑)

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介護の日々

去年3月に帰国。理由はコロナではなく、父の硬膜下血腫の手術のため。まさかそのまま日本に留まることになるとは、思いもよらなかった。

 幸い父の手術はうまくいき、術後の経過も良好。ただ、本人は不調を訴え続け、何度も再診。医者に「そんなに何度もMRIを撮る方が体に良くないですよ」とまで言われた。つい先月も睡眠障害のための入院検査をし、結果「異状なし」。おそらくは、心因性のものだろう。

 数年前に発症した母のパーキンソン病は、少しずつ、でも確実に進行している。パーキンソンからくる動作の不自由さ以外にも、膿胸、椎間板ヘルニア、舌癌、誤嚥性肺炎など、大きな病気や手術を何度も繰り返した母の体は、元気な86歳の人と比べると、とても弱っているように見える。

 高齢の二人暮らし、日ごろは、介護ヘルパー・デイサービス・訪問看護・訪問診療などをめいっぱい利用しながら、何とか生活している。子どもである私も弟も遠距離なので、それぞれ半年に一度、その都度1-2週間、両親の様子を見るために帰省していた。

 ところが、3月に帰国して以来、コロナは世界中でその勢いを増し、以前のように行き来できなくなった。それに加え、主人の母にも病気が見つかり、余命宣告を受けた。結局夫も帰国、母の最期を看取った後、仕事の拠点をこちらに移し、今に至っている。

 実家近くのマンションで賃貸暮らし、私は週に何度か様子を見に行って、あとは自分たちの仕事、という具合にバランスよくできていたと思う。今までは。

 ここへきて、実家の用事がどんどん増えてきて、自分たちの家や仕事がうまく回らなくなっている。両親がだんだん動けなくなることも、それに伴って助けが必要なこともわかっているし、できるだけ快適に穏やかに過ごせるようにサポートしたいと思ってきた。

 けれど、今週は週四日、午前中まるまる病院や習い事の付き添いで、帰宅すると結局1時になる。それに加え、週二回夜の後片付けやゴミ出し、母の着替えなどで2時間。月末でいろいろ仕事が重なるときに、ちょっとしんどいなぁと思う。 

でも、これから、おそらく、両親のために使う時間は、増えることはあっても、減ることはないだろう。どんなふうにうまく折り合いをつけていくか、考えないとなぁ。

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ブログのハードル

何と、一年近くほったらかしにしてた。まぁ、その前もマメに書いていたわけではないけれど。

書くネタがないわけではない。むしろその逆で、去年から今に至るまで、コロナだけでなく身の回りでも、あまりにたくさんのことが起こりすぎて、どれを書けばいいのかわからないくらいだ。

まだネット世界がある程度限られた空間だった頃は、結構楽しくいろいろ書いたし、掲示板や他の人のブログでも交流はあった。

でも、いまや万人のものとなったネット世界では、以前のように気軽に書けない…と自分では思う。誰が見て、どう感じるかわからない、しかも残る、スクショが拡散とか。

いや、ないとは思いますよ。誰も見てないとは思うけど、そんなこんな考えすぎて、結局インスタもツイッターもまだ残してあるFBも、今や見るだけ。

発信したいのか?ちゃうなー。ひとりごと、日記のような記録を残しておきたいだけなんだと思う。自分で読み返すためかな。考えを整理する助けに書くんだと思う。

とういうわけで、またぼちぼち記していこう。と思います。ちゃんちゃん♪

追記:両親の介護が始まってからアメブロの介護ブログを読むようになり、そこから他のカテゴリも見ている。ほんなら、アメブロで日記書いてみるか・・・とカテゴリ探してみると、あてはまるのって「アラカン」!?なんかショック。いや、現実ですけど。今日も病院で見かける人、ほとんどが年上と思って見えてるけど、意外と違うのかも。自分どんだけ若いと思てんねん。っていうハナシ(笑)。

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くちべたさんのなぐさめ

今日のQT(詩篇139:1-13)

ことばが私の舌に上る前に なんと主よ

あなたはそのすべてを知っておられます。(4節)

話を聞いてもらえる人や場があることは、人間にとって大事なことだ。もっと言えば、うまく言葉にできない思いさえも理解して受け入れてくれたら、どんなに力になることか。

本を読んで、映画を観て感動する、気づきを与えられた、とても納得のいく話だった、ほかの人にも役に立つと思う、でも、「どんなふうによかったの?」と聞かれると、ことばに詰まる。うまく説明できない。心にはしっかり感動の余韻はあるのだけれど、情報が言葉として残っていないから、アウトプットできない。

でも、雄弁でなくても、「?」みたいなリアクションされても、伝えたいことは言葉にしていく勇気を神様はくださる。黙っていては何の変化も起こらないけれど、私が少し動けば、小さな風は起きる。 

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神様、私に素晴らしい 約束をありがとうございます。あなたが私のことを全部知ってくださっている、見てくださっているということは 大きな 慰めです。

自分でも自分のことがいまだよく分からないし、持て余すことがあります 。心の中にある感動を、こうしたらいいというアイデアを、 なかなか 人にうまく伝えることができなくて、もどかしい思いになります。

また、 やるべきこと、やったらいいと思っていること、やりたいこともたくさんあって、 今それらがとっちらかって うまく整理できていません。

神様 、私が自分でそれらに優先順位をつけるために、座って計画表を書こうとしたら、それだけで一日が過ぎてしまいます。私の頭はそれぐらい遅いです。

だから、聖霊様が 教えてください。今やるべきこと 、次にするべき仕事、行動、話すべき言葉、神様が導いてください。神様が知ってくださっている、今見てくださっているから、大胆に行動できるように助けてください。

あなたの御前で今日生きることを 助けてください。 

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何年ぶり?に日本のタコ焼きを食べ、サンダルとビニール傘を買った日。

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