JUST FOR TODAY

今日の恵みを忘れないために

マタイ11 時流の中の静けさ

牢獄にいたバプテスマのヨハネはなぜイエス様に
「おいでになるはずの方は、あなたですか。」と聞いたのだろう?

以前の彼は、自分の働きが誰のため、
何のためであるかに、はっきりとした確信があった。

「『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声」、
それが彼のIDだった。

自分はキリストではなく、約束された「神の子」は
「私のあとから来る」と証言した。

彼がイエス様にバプテスマを授けた時、
御霊が鳩のように天から下ったのを見た経験が
エス様こそ「世の罪を取り除く神の子羊」と宣言させた。

けれど、今彼は迷っている。
確信を持てずにいる。

状況は自分が想像していたのと違う展開をし始めた。

熱い思いを込めて語った神の国は?
聖霊と火のバプテスマを授ける方は?

エス様についてのうわさは流れてくるが、
世の中はそれほど変わったとは思えず、
まして自分はとらわれの身、ふと心に疑問がわき上がってくる。


「時代」は、大きな流れをもって人々を翻弄する。
「笛を吹いてやるから踊れ。弔いの歌を歌うから悲しめ。」と。

賢い者、知恵のある者でさえ、メディアの思惑通りにコントロールされ、
世の中の喧噪は、キリストの力あるわざをも覆い隠そうとする。

何を聞き、何を見るか?
刻々と移り変わる時代の声でなく変わらない神の約束、
目に見える刹那と憂鬱、豪奢と快楽の世界でなく、キリストのみわざ。

迷って、疲れ果てたら、どうするか?
優しい主がその手を広げ、待っていて下さる。

主のもとに行って休もう。
この地上はあまりにも騒がしく、
心を動揺させる出来事とメッセージに満ちているから。
その中でひとり立ち続けていると、時に眩暈さえ感じるから。

主のもとに行って休もう。

「ここにおいで」という声が聞こえますか?


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