JUST FOR TODAY

今日の恵みを忘れないために

一言があなたの人生を変える

You versionという聖書アプリのディボーションプラン。「新年の抱負など無駄です!」と少々過激に始まるけれど、簡単にいうと今年のビジョンを表す「一言」を求めて祈るという4日間のプラン。忙しい毎日だからこそ、目的がシンプルならば、意識のうちにそれを保って実践できる、というのに妙に納得して、このプランを読んでみた。

毎日最初に注釈・解説を読んで、その後いくつかの聖書箇所を読むだけなので、さらっとやってしまえば5分で終わる。でも、本当に真剣に一年の目標となる一言について考え、主に求めて祈るなら、時間はあっという間にたってしまう。

いろんな希望や願いとともに、心配や疑いもやってくる。今現実にある目の前の困難や、過去の失敗をまざまざと思い出してやる気が失せたりもする。でも、みことばを読むとき、神様は語られる。不思議なくらいに、同じことを何度も。祈り会で、家族ディボーションで、読んでいる本の中で…。

この数年、体と心の不調が続き、苦しみの中で神様に繰り返し語られたことは「静まって、わたしこそ神であることを知れ。(詩篇46:16)」だった。ただ信頼を失わず、静かに、よいお方と信じ続けることだった。

でも、今年は違う。神様は私に「〜し始めよ」と言われる。億劫がらず立ち上がり、躊躇せず行動する者でありたい。その時を逸することがないように。

主は私に言われた。「見よ。わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めた。占領し始めよ。その地を所有せよ。」 申命記2:31

ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。 Ⅱサムエル8:6

 神の多くの約束は条件付きである。私たちの側がその条件を満たして初めて、神は約束を実現してくださる。私たちが従い始めるとき、神は祝福し始めてくださる。
 アブラハムに与えられた多くの約束も、彼がカルデヤの地で待っている時には、一つとして実現しなかった。彼は必ず自分の故郷、民族、家、すべての友を離れ、異郷の地に行ってこそ、神は一つ一つの約束を成就してくださったのだ。
 主は十人のらい病人をいやされるとき、「行って祭司に見せなさい」と言われた。彼らはいついやされたのだろう?祭司に見せに行く途上である。もし彼らが「いやされたら見せに行こう」と思って待っていたなら、いつまでもいやされることはなかっただろう。主はいやそうと待っておられた。彼の信仰が働いたそのとき、祝福がやって来たのだ。
 イスラエルが敵に追われて紅海を渡るとき、神は「前進するように」言われた。彼らのすべきはもはや待つことではなく、勇気と信仰を奮い立たせ、前に進むことだった。その後、水かさの増したヨルダン川を渡る時も、まず信仰によって足を川に踏み入れなければならなかった。信仰は約束の地に入る鍵である。その鍵は彼らの手の中にあるが、門に近づき、これを使って開けなければ、門は決して自動的に開くことはない。
 私たちは戦うことを定められている。敵に勝つことなどできないと思うときもある。しかし、信仰によって前線に出ていくとき、あの唯一の勝利者である方が、私たちのそばに来て私たちの代わりに戦ってくださる。彼によって、私たちは圧倒的な勝利者となる。もし、私たちが疑いと恐れのために、助けが来るのを待ち続けるならば、それは無駄になる。「不信仰による待ち過ぎ」だ。神は豊かな祝福を与えようと待っておられる。だから勇気と信仰をもって進み出て受け取ろう。「見よ。わたしは…あなたの手に渡し始めた。占領し始めよ。その地を所有せよ。」(荒漠甘泉1月26日)

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