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今日の恵みを忘れないために

「暗い顔」の理由 ルカ24:13-35

エスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。

この時、彼らには「イエスがよみがえった」というニュースはすでに届いていて、(22-24節)道々ふたりで話していたのは、もっぱらその話題。

ところが彼らは、以前イエス様が語られた約束や聖書のメシヤに関する預言につなげることをせず、「自分たちの見解」にとどまっていたがゆえの「暗い顔」。

もし彼らに聖書のメシヤ預言の理解と、イエス様が語られていた「十字架と復活」への信仰があれば、エマオの途上は希望と期待にあふれた会話になったに違いない。

エス様は、そんな彼らに近づき、諭してくださる。そんな状態になるのは、「愚か」で「心が鈍く」「信じない」からだと。彼らと同じように、私が暗い顔になったり、失望や困惑する理由も同じ。

そして、すぐに彼らにご自身を明かすことをせず、まず「預言者たちの言ったことすべて」「聖書全体に書いてあること」を解き明かされた。

それは、私を含め、今後すべてイエス様を信じる者たちのよりどころ、立つべき場所、「暗い顔」解消の秘訣を示すためだった。「病がいやされた」「必要が満たされた」「祈りが聞かれ、奇蹟のような事が起こった」とか、そんな時間と共に色あせるであろう体験に基づいた喜びではなく、「みことばの約束への信仰」。それこそ、心に光をともす、心を燃やし続けるものなのだ。

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